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上げた記事は3日後くらいが完成形

4w5の非言語的自己表現

 「4w5は絵や音楽など、非言語的な芸術によって自己表現をしようとする」という4w5についてよく見かけるこの記述、メッセが自分当てはまらないと言っていて、トライタイプに4w5持ってる私もそだねーとなったので二人でここら辺を話し合ったまとめです。 

 「4w5は絵や音楽など、非言語的な芸術によって自己表現をしようとする

 この説明はそもそもすごくFi-Te的だな、と思いました。自分が感じたことや自分の内面を言語化という手段を用いずに表現する、というのは、言語(Te)よりも非言語(Fi)のやり取りが得意な人たちのコミュニケーション手段だな、と。つまり、4w5のこの説明は前提としてFiユーザー的なんですね。

 メッセも私も感じたことや考えたことの言語化が好きで、言語表現できないのは語彙力不足じゃないの?みたいな結論に一回なりかけたのですが、自己表現っていうのは言語じゃできないものなのかもしれないな、と考えました。これはきっとFi脆弱者にはわからない感覚、というか、私もメッセもそもそも自己表現しようって欲求がないんですね。

 メッセが書物するときは「思い浮かんだ空間を形にしたい」という欲求で、私の場合は「心が冒険したいってうるさいときに冒険させてあげる」とか「書いている最中にこの感情を強く感じたい」って感じです。ふたりに共通していた欲求は、「自分の思う理想の世界をつくりたい」「どんな言葉で表現したいことを表現するのか考えるのが楽しい」です。

 要するに、表現するような心の世界っていうのがそもそもあまりない。個人的に感情や自分の世界観ってのは時折ぷくっと内面から湧いてくるもので、常に存在する自分の世界観があるとすれば、私もメッセもそれを全然意識できていないです。そもそもあるのか?って感じです。ここら辺はすべてFi脆弱が原因のような気がします。

 

 完全に憶測の世界ですが、多分自己表現したい人たちは、言語という道具ではすべてを表現できないから非言語の世界で自己表現するのかな、と考えました。本人たちの不得手を含めて考えても、言語とはそういう不完全なものなのかな、と。

 でも仮に非言語の表現、例えば絵で自分の内面世界を完全に表現したとして、それを鑑賞する側に表現者と同等レベルの感性がなければ伝わらなくない?って途中でなりました。表現を感じることのできない人たちは蚊帳の外です。

 まあ内的世界を完璧に表現できる、というハードルを非言語はクリアできてるので、その時点で表現自体には成功していますが、伝える、という面なら言語の方が優秀ですね。言語の持つ意味というものは、生きていく中で大体の人間が大体理解していくので背景を共有しています。つまり疎通が容易です。メッセは「こういう世界素敵じゃない?」って言いたい欲求の方はあるし、私もどっちかっていうとそっちなので、ふたりとも言語を使ってるってのは理にかなった結果なんでしょう。

 

話の終着点が言語VS非言語になってしまいました。現国の評論文に出そうですね。